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大英博物館@2019年4月

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昨年2月にスタートしたセイシェル発ワンワールド・エクスプロアラーファーストクラス4大陸世界一周券AONE4を使って昨年4月にロンドンとパリを訪れた時のお話。 大英博物館へ立ち寄ってみました。

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地下鉄ピカデリー線でHolborn駅まで

この時はロンドンヒースロー空港T4内のホテルに宿泊していました。 大英博物館まで行くにはいろいろなルートがありますが、怠慢な私は時間がかかってもいいからなるべく乗り換えの少ない路線で、ということで、ヒースロー空港に乗り入れているアンダーグラウンド・ピカデリー線一本でHolborn駅まで行き、そこから10分ほど歩きました。
本数は少ないのですが、ヒースローのT4が始発になっている電車がありましたので、それに乗って一直線。 その代わりHolborn駅までは結構な駅数があり、1時間以上かかったように思います。 ま、ロンドンのアンダーグラウンド見学と思えば、それもまた一興。

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長蛇の列

入場口はもちろん長蛇の列。 私はK氏と違って年間パスなど持っていませんから大人しく並びます。 でも思ったよりも早く入館できました。
一応敬意を払って10ポンド札を寄付してきました。
翌月からは日本の「マンガ」の特別展示が始まるようでした。

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ロゼッタストーン

まあとにかく広いし展示物がものすごく多いので、とても1日や半日では全部を見きれません。 いくつかのポイントに絞って見ていきます。
外せないのはやはりロゼッタストーン。 略奪美術館と言われる大英博物館ですが、これはもちろんエジプトからの略奪品。

ロゼッタ・ストーン(ロゼッタ石、仏: Pierre de Rosette, 英: Rosetta Stone)は、エジプトのロゼッタで1799年に発見された石版。
紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部である。縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩でできた石柱である。なお、当初は花崗岩または玄武岩と考えられていた。
碑文は古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字の三種類の文字で記述されている。細かい違いはあるが、本質的には同一の文章が全部で三つの書記法で著されていると早くから推測され、1822年、ジャン=フランソワ・シャンポリオンもしくは物理学者のトマス・ヤングによって解読された。これによってロゼッタ・ストーンはエジプトのヒエログリフを理解する鍵となり、他のエジプト語の文書も続々と翻訳が可能になった。

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エジプトの王様

アメンホテップIII世、トトメスIII世、ラムセスII世などの胸像があります。

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ゲイヤー・アンダーソンのネコ

可愛いネコちゃんではありますが、なぜにこんなに有名なんでしょう? 製作年代はBC600年頃らしいですから、確かに相当に古いけど。

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 大英博物館で最も有名かつ優美なネコ。今から2500年前ごろに作成されたブロンズ製のネコの像である。
名前の由来は、19世紀イギリスで著名なオリエンタリスト(中近東の文化や歴史に関心を持ち、現地に行ったり文物の収集をしたりした人々)であったロバート・グレンヴィル・ゲイヤー=アンダーソンが、このネコの像を大英博物館に寄付したことによる。
アンダーソンは医師であったが、エジプトの文化に関心があった。エジプト駐留軍に参加したことでその関心はさらに高まり、1924年から1942年までカイロに滞在することとなる。
この像はネコの姿をした女神バステトを表すものであり、単なるネコの像ではない。耳と鼻には金の装飾が施され、胸には護符が下げられている。また再生の象徴であるスカラベが刻まれている。

Female Sphinx

紀元後2世紀というからいわゆるスフィンクスよりもずっと新しいものですね。

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ギリシャ

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パルテノン神殿の彫刻

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うずくまるアフロディテ像

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アレキサンダー大王

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アッシリアの守護獣神像

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モアイ像

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中国周王朝時代

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イシュタル門のライオン・モザイク

新バビロニアのネブカドネザル2世によって建設

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バーニーの浮彫(バーニーのうきぼり、英: Burney Relief、夜の女王としても知られる)

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メソポタミアのイシン・ラルサ期または古バビロン期のテラコッタで作られた高浮彫であり、翼を持つヌードの女神の姿を描いている。フクロウが傍に控え二頭のライオンの上に立っている。 浮彫は、ロンドンの大英博物館に展示されている。作られた日付は紀元前1800〜1750年である。

ハムラビ法典他、バビロンの展示物

大英博物館にもハムラビ法典の石版の一部があるんですね。

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鷹の頭をしたスフィンクス@アブシンベル

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牡牛を襲うライオンのレリーフ

@ダリウス大王のペルセポリス宮殿

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黄金のケープ

これは1900BC~1600BCのウエールズのものらしいので、珍しい自国の品物。

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エジプトのネコの彫像とミイラ、アンク

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Gebelein Man

エジプト中王国時代3500 BC頃の「ジンジャー」という名前の自然のミイラ、その他

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ポートランドの壺

15BC~AD25頃に、古代ローマ人の作成したカメオガラスの壺

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シバなどインドの彫像

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女神像@アヌラーダプラ、スリランカ

慈悲の女神、大乗仏教のものらしい

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密教系の仏像、短剣

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ガルーダ

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インド、ムガール朝時代の食器など

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ハヌマーン、その他

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アッシュールバニパル王の大洪水の石版

いわゆるギルガメシュ伝説、ノアの方舟伝説の元となった石版か。

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ウルのスタンダード

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ウルのスタンダード(英語: Standard of Ur)は、紀元前2600年ごろのシュメールの古代都市ウルの遺跡から出土した工芸品。発見者であるイギリスの考古学者レオナード・ウーリーの説にしたがって「スタンダード(Standard、旗章、軍旗)」と呼ばれているが、その実際の用途は明らかになっていない。
高さ21.6cm、幅49.5cm、奥行4.5cmの横長の箱で、前後左右それぞの面にラピスラズリ、赤色石灰岩、貝殻などを瀝青(ビチューメン)で固着したモザイクが施されている。大きな面の一方には戦車(チャリオット)と歩兵を従えたウルの王が敵を打ち負かす「戦争の場面」、その反対側の面には山羊や羊、穀物の袋などの貢納品が運ばれ王と家臣が宴会を楽しむ「平和の場面」(「饗宴の場面」)が描かれている。大英博物館に所蔵されているシュメールの代表的な美術工芸品である。

牡山羊の像

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牡山羊の像(おすやぎのぞう、英語: Ram in a Thicket)は、イラク南部にあるウルの王墓で発掘された2体1対のオス山羊の像。製作年代は紀元前2600年から2400年頃で、発掘された2体のうち1体は大英博物館56号室のメソポタミア・ギャラリーに、もう1体はアメリカ・フィラデルフィアにあるペンシルベニア大学考古学人類学博物館に所蔵されている。

ケルトの盾

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黄金の戦車

紀元前4~5世紀のペルセポリス

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10時から3時頃まで滞在

もう少し早めに帰ろうかと思いましたが、外に出ようとしたら小雨が降り出したので、もう少し滞在して、結局3時頃まで博物館にいることになりました。 結構疲れました。

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Since 2018年5月4日